おはようございます。
胎内記憶教育Ⓡの観点から、あなたが決めてきた《いのちのやくそく》を紐解くコーチ・
マスターふぅです。
50日チャレンジ 私というカラダ・ココロを作った軌跡、世界観を毎日1投稿で綴ってゆきます。
毎朝9時に投稿してます。
幼稚園に行く前は、5歳離れた姉は小学生だったので、日中家に居てる時間が長かったお陰で、祖父からは可愛がられてた。
当時の住み込みのお手伝いさんと祖父と私で、温泉旅行や吉本新喜劇を観に連れていってもらったりしていた。
好奇心旺盛でじっとしていられない私は、ステージで漫才を披露する芸人さんを真近で見るのに、ステージに上がって行きそうになるのを吉本の社員さんに連れ戻されたりしていたそうだ。
祖父は、それを見て『なんてお行儀の悪い、躾のなってない子供なんだ!親の顔を見てみたい!』とその様子を眺めていたら、
隣で座っているはずの私が消えていて。。。社員さんに取り押さえられている子供が私だと気づく(汗)という。マンガみたいな話しを母から、事あるごとに聞かされてた。
それでも祖父は『フミは可愛いのう♡』とよく言ってくれてた。
正に、出来の悪い子ほど可愛い!!!
を地で行ってたみたい。
祖父は、その年代では珍しいほど、かなりオシャレだったと覚えてる。幾つものハットと言われる帽子を持ち、その日の気分でチョイスし、ステッキ片手に、ハイヤーを呼ぶ、という。
『じゃぁ、銀行に行ってくる』と言って出掛けるが2,3日帰って来ない。
だからと言って家人が探すわけでもなく。それが日常といった感じ。
祖父が銀行に行く!と言って別のところに出かけて行ってた。というのを知ったのはそれから随分時間が経ってから。
実は、祖父には別の家庭があり、私達が住む家には、既に祖母も他界していたからなのか、我が家は居心地の良い場所ではなかったのかもしれない。しかし、この事が、
私がこの家を選んで生まれて来た一つの役割だとは、当時知る由もなく、それが分かったのは、それから50年近く経ってからだった。
祖父にとっては、居心地の悪かったかもしれない家も、日本庭園が広がる広縁に差す光の情景や日本家屋の土壁の香り、風が運んでくる葉の香りは、4歳の私の五感を刺激し今でも鮮明に覚えている。
自分の世界に浸れる気持ち良さを感じながらも、現実では、嫁である母と祖父の喧嘩をよくみていた。だからと言って母が落ち込む風でもなく、あっけらかんとしたその性格が、この家を支えていたのかもしれない。
そんな図太い神経の母からは、よく出来の良い姉と比較され、
私は始終、『どーせ、出来ないやろ』『ほら、やっぱり出来ないやん』と言われてた。
承認欲求の為か、母の喜ぶようなTV報道や記事を見つけては、母に伝えるが一向に話を聞いてくれない。。。。。
コレは、小学校に上がってからもずっと続く。
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自己肯定感が低くなったのは、こんな背景があったから、でも、それはもう手放したい!心の底から思えたら、開放されるんです。もっと自由に生きれるんです。そのことに拘ってる自分を癒して前に進めるんです!
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