おはようございます。
胎内記憶教育Ⓡの観点から、あなたが決めてきた《いのちのやくそく》を紐解くコーチ・
マスターふぅです。
50日チャレンジ 私というカラダ・ココロを作った軌跡、世界観を毎日1投稿で綴ってゆきます。
毎朝9時に投稿してます。
小学校高学年から中学入学までは、フワフワと雲の上に居てたような感じで、ただ日々の生活に流される?自分をしっかり持たないぐらいの方が周りと上手く付き合える♡というのを学んでた。
なんとなく過ごしていると、なんとなく時間が過ぎていき。当たり障りのない希薄な人間関係がちょうど居心地が良かった。
親友という友達も居なくは無かったけれど、そもそも『親友』って何ですか?という次元で生きてた。
中学に入ってからは、人を見下すような嫌な部分が少なからず持っていたので、そのいけ好かない態度が原因でいじめらたりした。
当時の私は、いじめの原因さえも分かっていなかったので、
只々毎日朝が来るのが嫌でたまらなかった。
また、両親は『学校行け!』の一点張りで、しぶしぶ登校していた。
私は、もうこのまま出口が見つからずに、この生活が永遠に続くのではないか?という閉塞感でしんどかった。もちろん親は何も状況が分かっていないから、何が何でも私を学校に行かす事しか考えていなかった。私はもうこの親には何を言っても理解してもらえない。と分かり、見えないトンネルのなかではあったものの、とにかくいじめっ子たちとは、この先も一緒に過ごしたくなくて、ひたすら勉強に打ち込んだ。もう早く環境を変えたい一心だった。
担任の先生は、まだ理解があったので、気遣ってくれてたし、親子面談の時に母に伝えてくれたが、それがイケなかった。
母は無神経にも、その事を他に人たちに面白おかしく言ったりしていたのを聞いたので、それがショックで、母に失望した。
相変わらず無神経な母は、この一件(私の自尊心を踏みにじるような心無い言動)以来、他にもよく似たような事、私の気持ちを知ろうとしないどころか、平気な顔をしてサラリと傷付く事を言うので私はドンドン母を嫌っていった。そして、、、。
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